末永い栄養
映画もドラマも芝居も漫画も小説も、見たり読んだりしているその瞬間が1番楽しい。
あとで、あのシーンが良かったな、あそこの一行がたまらなく好きだなと思い返し、自分の身になるものとして大切に残しておくことはある。しかし、「楽しさ」という面では体験してる時がピークで、思い出や理解は「楽しさ」で超えることはできないのではないかと思う。
何かを鑑賞し終わったら、見た・読んだという事実だけが自分の中に残り、あとは時間が経つにつれて記憶も薄れていってしまう。
鑑賞している最中と直後には楽しさと余韻があるのに、それが日常に打ち消されていくのに寂しさを感じる。サラッと読めてすごく面白いけど、あまり心には残らなかった作品などがそうかもしれない。
わたしは娯楽を体験しているのではなく、食べているかもしれない。
心に残る、栄養になるような娯楽を毎日摂取するのは難しい。
ただカロリーが高かったり、味が濃いだけのものを食べればそれだけ満足感も得られるが、時間が経てばあっさりと消化されていく。
例え栄養にならなかったとしても娯楽は美味しいし、何かしら食べなければつまらなくて飢え死んでしまう。
栄養にならない娯楽を食べては、一瞬だけ美味しく、あとは食べた事実だけを残して簡単に消化されていってしまうのが虚しい。
インターネットで手軽に読める漫画ほど、無意味にどんどん食べてしまうな。面白いのに、ほぼ食べるように消費してしまってごめんなさいって思う。
また、こちらはぜひ自分の栄養となってほしいと望んで摂取した娯楽があっさりと消化されてしまう場合もあり、己を恨めしく思う。
適度に美味しいものを食べ、尚且つ、あのときのオムライスが美味しかった、いちごのタルトが最高だったと、いろんな味をしっかり思い出せるのが理想だ。
毎日贅沢品ばかりが食べたいなんて言わないから、たまにはあっさり消化されない、末永い栄養が欲しい。
今日の1枚。
「汚水蓋」という主張。
このマンホール蓋くらい堂々と生きたい。