夏の早朝

空想や妄想をしてみたい。

何者かになりたい人たち

 

自信がなさそうな人に向かって、他人は「もっと自信持ちなよ」と言う。

 

特に、昔から親には死ぬほど言われてきた言葉だ。
それを言われるたびに違和感や疑問を感じていた。

 

自信を持つべき状態でないのに、どうして自信を持てと無責任に言えるのか。
そこで自信を持ってしまったら、ただの身の程知らず人間になってしまうだろう、といつも思う。

 

自信を持つことは大切だ。
例え根拠のない自信だって、勝負の場面においては絶大な力を発揮するかもしれないし、自信なさげな振る舞いをしている人より良く映るだろう。
実力や才能、オリジナルな魅力を持っている人こそ、自信がないのはもったいない。見ていてもどかしい気持ちになる。

そういう人に向かって、わたしは無責任にも「もっと自信持ちなよ」と心の中でつぶやく。

 

わたしは自信がないのではなく、自分の力の無さを知っているから立場を弁えているだけだ。自惚れと、自信を正しく持っている状態は違うのだ。

しかし、自信を持つべきなのか、力が足りず自信を持つべきでない状態なのかを判断するのは、自分が1番不適任ではないかとも思う。

以前のブログで触れたように、自分は自分の最低さ・力の無さを知っているから、自信を持つべきではないのだと強く言い張ることができてしまうが、他の人からしたら自信を持っていい、自信を持つべき人に映っているのかもしれない。自分では上手く納得ができないけれど。

 

他者から見たわたしへの及第点はきっと自分の想像より低いのに、変なところで自分に厳しいからおかしなことになるのだろうか。

 

自信のなさと、自分の希望との距離感は難しい。自信を持つべきか、ただの自惚れで空回ってしまうか。


わたしは自信がなくて行動できないことが多いけれど、それはやらないための言い訳にしてしまっている気がしている。

だから最近は心の中で、嘘でも、自分はすごい、天才だしなんでもできると、身の丈に合わない言葉で必死に鼓舞している。

ちょっと調子に乗ったら、調子が良くなった。

 

 

Twitterを見ていて、誰かのRTや「◯◯さんがいいねしました」で流れてきた人のアカウントをなんとなく見てみると、今年のミスiD受験者ということが多い。プロフィールに貼られているブログやミスiD公式のリンクから、なんとなく文章を読んでみる。

 

その中でよく目にするのが「何者かになりたい」という一文だ。

 

概ねミスiDの受験者に多く、そしてミスiDを受けていない人たちも、結構みんな、現在は何者でもないけれどいつか何者かになりたいんだなと思った。

 

何者でもない人が自問自答を続けながら、誰かに何者かにしてもらうこと・現状から救い出してもらうことを望んでいるようなオーディションがミスiDだと勝手に思っていた。

ミスiDを受けている人の中には既にアイデンティティが確立しており、何者か証明する術をたくさん持ち合わせている人もいる。その一方で、他のどのオーディションよりも、具体的な役割よりも、現時点で迷子だけど抽象的に何かになることを希望している受験者が多いというイメージがある。(全然詳しくないから超見当違いなことを書いてたらすみません…)

 

何者かになりたい意志の表明や、自分の表現を発信することなどの努力は前提であるものの、あとの残りはラッキーで誰かに何者かにしてもらえることを望むのであれば、それはもう、ものすごい低確率だろう。レインボーブリッジが見える砂浜から星の形をした砂つぶを見つけるくらいの、とんでもない感じの。

また、オーディションに参加して有名になったり賞を受賞したりしても、それで人生が劇的に変わるわけでもなく、何者かになることができずに燻り続ける人もいるのだと思うと、やっぱりものすごいオーディションだなと思う。

 

やはり、何者かになるには人に期待をしすぎず、自分が時間をかけて頑張るしかない。

 

そのとき何者かになりたかったわたしは、尊敬している戸田真琴さんや、ラジオをよく聴いているテレ東の佐久間さんが審査員を務めているのはかなり魅力的だったし、コンセプト的にもわたしはエントリーするのに適当なのではないかと一瞬思いはしたが、結局は受けようともしなかった。

わたしは現状を自分で打破する方法がわからなかったし、それなのに誰かに何者かにしてもおうなんて棚ぼたも甚だしいものだ。自分の中では、とりあえずブログを毎日書いてみる、という超小さめの1歩を頑張って踏み出したが、それが自分の前進として正しいのかは不明だ。

誰かに見つけてもらえるような星型の砂つぶにはなるにはほど遠い。

 

 

別に物申したいわけでも、ミスiDを受けたかったと嘆いてるわけでもないのだけど、みんな、何者かになりたいんだなぁと思って書いた。もちろん何者にもなりたくない人もいるだろうけど。

 

いまのわたしは、どっちなのだろう。

 

以前アイドル活動をしていた時は、他の人がどう思おうがわたしはアイドルであったと思う。アイドルを辞めてからはアイデンティティを失い、このブログを始めた1ヶ月前のわたしは何者かになりたがっていた。

 

しかし、今、何者かになりたい気持ちが以前より薄れてきた。自分と自分の間で徐々に折り合いがつき始めているからかもしれない。

 

その折り合いはどういった類のものなのか。

 

1つは現状への慣れ、1つは情熱の鎮火、1つは前に進みたい気持ち。

 

……?

 

まだまだ自分のことがよくわからない。

 

 


今日の1枚。

 

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クリームの在り方が可愛すぎる…。

やっぱりわたしは食べ物の写真を撮るのが大好きだ。見る人によっては不快な気持ちにさせてしまうかもしれないので、あんまり載せないけど。


実はすずめ園のTwitterのアイコンと、ブログのアイコンはこのシュークリームを薄めたものを10回くらい重ねて作ったもの。

 

ちなみに、前によくアイコンとして使っていたお気に入りの写真がこちら。


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自分がアイス食べている姿を窓ガラスに映して撮っただけのもの。絶妙な幽霊感が出ていて好き。
個人的に1番気に入っている自撮りですね。果たしてこれが自撮りのうちに入るのかわからないけど。