夏の早朝

空想や妄想をしてみたい。

肴はカタツムリ

 

日傘もカーディガンも家に置いてきてしまったので、今年一紫外線を浴びた気がした。

散歩しながら自由律俳句を考えようと、歩くスピードを落とし、周囲の木々をイヤホンなしでゆっくり見渡していると、すごく純粋な散歩をしている気持ちになった。自分の中にある散歩らしい散歩像に浸りながら公園を歩いた。

 

昨日から小さいカタツムリの「でんでん1」と「でんでん2」を飼育している。

この暑さで、寝ている間にエスカルゴになっていたらどうしようかと思ったが、無事2匹とも生きていた。

 

今朝起きたら、お母さんがでんでんたちに梨の皮、にんじん、庭で拾った小石を与えていた。しかも虫カゴ代わりのペットボトルまで新しいものをこしらえている。

昨日は「もう飽きたし明日にでも庭に放す?」とか言っていたくせに。心なしか昨日より張り切って世話をしているように見える。

 

夕飯の時にはカタツムリたちを肴に、ふたりで缶チューハイを半分こして飲んだ。

 

(カタツムリを肴に、と書くとかなり紛らわしいが、この場合は飼育しているカタツムリを観察しながらの意)

 

今日は2匹揃って、首を伸ばしながら梨の皮を必死に食べているところが面白かった。

虫メガネで見ると本当にすごい。口のような部分を前後にもぐもぐとさせながら、ちゃんと目の前のものを食べている様子がしっかりと見える。見ていて飽きない。

人間のように顔や手足があって、言葉を使ったり感情を表現したりしないのに、何かを食べて生命を維持しようとしているところが、生き物として当たり前のことだけど、なんだか神秘的で愛おしく思える。

 

 

 

今日の1枚。

 

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今日は頑張ってこれだけ飲んだ。

 

わたしは水を飲むのが昔から苦手だ。

人より喉が乾かないから、きっと水分の摂取量も少なめで大丈夫な気がするのだけど、さすがに夏なので最近はペットボトル1本分くらいは水が飲めてしまう。

 

大学生の頃、パン屋でアルバイトをしていたことがあった。閉店後の片付けが終わる頃には、夏だと喉がカラカラになるので、お店の通用口からバスに乗るまでの道にあるスーパーでいつもヨーグリーナを買っていた。

バス停でバスを待つ間に気が済むまで飲み、バスに乗っても隙を見つけては飲み、バスを降りるまでに500mlのヨーグリーナを飲み干していた。

それが一時期、わたしのストレス発散法になっていた気がする。(なんだそれ…)

 

いつもは1日で500mlペットボトルの1/4しか飲めないのに、夏になるとおかしくなるくらい水分を欲してしまうのが気持ち悪くて、面白くて、バスで飲み干すような遊びをしていた。

すごくどうでもいい記憶。