日陰の草むら
さて、今日は純粋なアイスを食べたのだ。
というのは、ローソンのフルーツ味のアイスバーのことであり、選んだのはキウイ味。
わたしはたいてい、いかにも太りそうなアイスクリームばかり好き。チョコモナカジャンボが1番好き。けど大人になったらピノも好き。
今日はピュアなアイスを食べて、予想通り少し前歯に染みて、そのままひんやりとすり抜けていった。
わたしは徒歩が好きすぎるんじゃないか。
自転車があるのに、帰り道だけわざわざ押して、ずっとずっと歩いた。徒歩が身体になじむのだ。自転車よりも電車よりもわたしに一体化してくる。
なんだか今週は余計に歩いた。いっぱい遠回りをして歩いたし、日陰の草のなかに足をつっこんだら気持ちよいだろうなと散歩のシバイヌ見て思った。
今年、人生ではじめて紫陽花というものに興味を持っている。できれば家の花瓶にちいさいのを数本差したい。
紫陽花ばっかの道を通っていると、なぜか祝福されてる気分になる。でも同じくらいどくだみも咲いてるのに気づいてる。
いままで断然無臭派でした。良いにおいであるよりも、ぜったい無臭が良いと思っていました。
だけどいま突然、良いにおいの人になってみたい。可愛い服を着ても、きれいな指輪をつけないとか、爪が透明のままなのはちょっとちぐはぐかもと思い、最近これらを身につけることをはじめたのです。自分で行動の理由をばらしちゃって恥ずかしいけれど。
そして、さらにいまは生花の良いにおいを撒き散らしたくてたまりません。
良いにおいになろうとしている心が見透かされるのは個人的にかなり恥ずかしいので、できればさりげなく生花のにおいになれる何かとかがあれば教えてほしいな。でもわたし生花になったら虫にばかり好かれちゃいそう。
わりとしっかりめの日記やエッセイも今までよく書いていたのですが、最近は長い文を書くと脳があちいとなるのでこんな調子でいきたいです。
そうだ、本屋さんデビューしました!
嬉しいです。自分たちの作った本『ひだりききクラブの自由律俳句交換日記 vol.1』が江古田の「百年の二度寝」様に並んでおります。ちゃんとお店の本たちと仲良くなれるかしら。
句集は近々通販をする予定ではありますが、今すぐに購入できるのはこちらのお店だけです。江古田にお立ち寄りの際はぜひチェックしてみてくださいませ。
虫さされへ
行方不明の人の名前をふいにツイッターの窓に打ちこむ。そんなことをこそこそと、きまって眠る前に思い出して、たまにやっている。
わたしが好きなその人は、今もきっとどこかで生きていて何か表現をしているはずなのに、インターネットに情報がないだけで行方不明って思う自分がいやだ。
昨日の夜、ひさしぶりにその人の名前を検索したら、ついに動かなかったタイムラインが2年ぶりくらいに回っていた。
こういう こそこそしたやつがはじめて報われた夜だった。
ぜったい漫画、買います。さっきAmazonで買いました。
想像上の夏ばかり過ごしている。
いつも自分以外がきらきらしているし、汗をかいている。わたしだけ蚊に刺されないから、話に入れずに困る。
ふくらはぎに畳の跡がついたり、髪の毛がちょっと首筋に張りつくみたいな、そんなんだけで今年の夏も終わるのかも。
まだ始まってもいないけれど。
みんなラーメンが好きすぎて異常だろう。
わたしはラーメンへの興味が薄口だ。すごく好きでもないし、嫌いでもない。
なのに、なぜわたしはいつも中華屋で、バーミヤンで、珉亭でラーメンを選ばないのだろうか。
きっとそれはチャーハンと餃子のほうが美味いから。わたしが思うに米のほうが美味いから。
バス停が近づいてきた
帰り道にバスに乗るのがあまりにも好き。
駅から遠いわたしの家はバスで帰るにはちょうど良くて、好きな音楽やラジオ、読書、その他考え事をするのにもよくはまっているような距離とルート。大きな道路も、人が一気にいなくなるバス停を見送るのも、ファミレスも看板も総じて良い感じだと思っている。
降りますボタンを押してからの数十秒間なんていつも名残惜しくて、降りなくないな このままずっとバスに乗っていられたらなとすら思う。引き返すのは面倒くさいから普通に降りるけど。
バス停でビニール傘を開いたら、自販機でドクターペッパーかカフェラテ、どちらを買って帰るか迷いながら歩く。やっぱりどちらもいらなくてまっすぐに家に帰った。
おばあちゃんがくれるこの手の飴より美味しいものはないよね…。
さっきTwitterでも同じことをつぶやき、同じ写真を載せたけれど、なんとなく手相を見られるのが恥ずかしくて一分でツイ消しをした。でもここはブログだから許せる。
手相占いをしてもらったことはないけど、自分の手相は結構良いんじゃないかと思っている。わたしはいつも、そこそこ運が良い。
人が少ない夜の降りますランプに囲まれているとき、夜光虫に出会ったらこんな感じなのかもしれないと思って「夜光虫」と検索した。夜光虫のほうがもっとすごかった。わたしは降りますランプのほうがいい。
自由律俳句を鑑賞した夜のこと
昨日は『自由律俳句を鑑賞する夜2』というイベントに出演しました。ありがとうございました。
出演者は、せきしろさん、又吉直樹さん、鈴木ジェロニモさん、出雲にっきちゃん、自分という夢みたいな並びだったので、イベントが決まってからも「2月28日って本当に来るのか…?」「夢か…?」と疑っていたのですが、
ちゃんと全部が現実でした。きっと昨日のことはすずめ園の走馬灯に深く刻まれることでしょう。とても幸せな時間でした。
『自由律俳句を鑑賞する夜2 』 – LOFT PROJECT SCHEDULE
かなり大ボリュームのイベントになりました。
イベントの配信アーカイブは3月14日の21時まで、こちらのページから購入できるのでぜひ。
去年11月に開催された『自由律俳句を鑑賞する夜』では、配信チケットを買ってiPhoneの画面越しにせきしろさんのことを観ていました。自分が応募した句を採用していただけたりなんかして、次の日の朝陽がいつもよりきらめいて見えるくらい嬉しかったのを覚えています。まさか自分がそのイベントに出られることになるなんて。しかもせきしろさんと又吉さんが揃うなんて。
こんなの夢かと疑っても仕方がない。
間違いなく人生で最大レベルの超ビッグイベントだったので、前日の夜は箸を持つ手も震えましたし、にっきちゃんと入り時間の1時間半前に歌舞伎町のコメダに集まって自己紹介とコメントの練習をするくらいには緊張していた。
わたしはアイスミルクで、にっきちゃんは蜂蜜アイスコーヒーでした。一緒に食べたみそカツパンの味はやさしかったな。
ドキドキしながらコメダを出て、会場入りをしたら突然憧れの人はいるし、終始そわそわするしかなかった。気がつくと、あっという間によく見たことのある青い壁の前に自分が座っていて、ジェットコースターが出発する前と同じで気持ちで目を瞑りました。
最初こそ緊張でかなりカチコチでしたが、せきしろさんと又吉さんがとてもやさしく、たくさん話を振ってくださったおかげで、リラックスして喋ることができました。好きな句について思いを伝えることができて、質問かなり丁寧にお答えいただけて、もう思い残すことはない。
イベントの後半では、視聴者の方から募集した「春」がテーマの自由律俳句を鑑賞しました。
個人的なお気に入りは、爪楊枝と唐揚げの句でした。とても好きです。
この句を見た瞬間、爪楊枝の先に刺さった大きな唐揚げが、テコの原理的に爪楊枝の細長い形で親指の腹にのしかかった時の重みがリアルに想像できました。ちょっと風が吹いて空気がもわんとした公園で、冷めた唐揚げ食べたいな。
それから苺の句も。
イベント中にも、こういう句なのではないかとお話しさせてもらったのですが、小さい子どもが買ってもらったお菓子やおもちゃをずっと手に持って歩く感覚と似ているのかなと想像しました。
わたしにはそういうところがあり、スーパーで苺を買ったとしたら、日なたをお散歩させるみたいに苺だけ手に持って徒歩で家に帰りたい。苺を買うという時点でちょっと特別感あるよね。
だけど、この句の作者は全く違う想定で作った可能性があるので、ここで勝手にわたしの解釈を展開してしまって申し訳ないですが… この句からそんな場面を思い浮かべさせてもらいました。
わたしも「春」をテーマにした自由律俳句の募集が始まった時、色々と春の句を考えてみたのですが、見事に花見の句しか出てこなかった。きっと自分にとっての 春→散歩→公園の桜→花見 だったんでしょうね。それしか考えられなかった自分の想像力の乏しさが恥ずかしい。
春の風景や出来事を思い出そうとしても、まだ思いっきり冬なので、どうしても王道の「桜」を思い浮かべてしまう→結局「花見」となり、全然ダメでした。なので、視聴者の方たちの句を見て「そういえば春って新学期があったか…!」という気付きがあり、とても面白かったです。自己紹介、新しい名札、下駄箱、花粉症、引っ越し… 春っていろいろあるじゃん、、
(ちなみにすずめ園の春の句はこちら。「まだ三鷹なのにサビ」も春のつもりで作りました。)
紹介された句の中で、わたしやにっきちゃんのファンの方や、自由律俳句をやっている方など、知ってるお名前を何人かお見かけして、本当に仲間と句会をやっている感覚になりました。(わたしなどが勝手に仲間認定してしまって申し訳ないけれど) でもひだりききクラブでもまた句会やりたいです。
それから、自転車の句のときのエピソードで、わたしは2月25日に原付免許を取ったばかりだったのですが、せきしろさん又吉さんのおふたりとも、車よりも原付に縁がある(あった)ことを知って、自分の原付免許持ちが急に誇らしく思えてきましたね。原付最高!
最後にはジェロニモさんの春の短歌が5首紹介されました。
個人的に「ータンセし越引」の句が好きで、今でもこの文字列が頭の中にこびりついている。
木下龍也さんの『天才による凡人のための短歌教室』という本があります。短歌はまだ作ったことがないのですが、自由律俳句を作るのにも役立ちそうだし、立ち読みしてものすごく面白かったので先月本屋さんで買いました。その中でちょうど、短歌の表現のひとつして文字列や空間の自由自在性を知ったばかりだったので、この作品を目にしたときは興奮しました…。文字が文字としての意味だけじゃなく、そこだけまるで写真みたいです。アパートの前から動き出すトラックと、それを窓から見ている人の視点が感じられます。言葉って言葉として伝えるものだと思っていたけれど、記号のようにデザインされているのが面白く、写真みたいにこの作品の光景が残りました。
ところで、「アパート」って単語良いですね。アパートは春の季語だなと思いました。自由律俳句には関係ないけれど。
自由律俳句が好きな人たちと、しかもその中には自由律俳句にのめり込むキッカケになった憧れの人もいて、そんな空間で自由律俳句について語る時間は本当に楽しく、幸せでした。
人生経験が少ないなりにも、今まで幾つかの幸せを感じてきたけれど、なんだか感じたことのない種類の幸せでした。不思議な感覚。アイドル活動をしていた時にも、以前から好きだったアイドルの方や、憧れの人にお会いする機会はありましたが、こんなにも「好きな気持ちや感想を伝えたい!」「お話しをたくさん聞いてみたい!」強く思う方に会ったのが初めてだったからかもしれないです。
楽しいと幸せは仲間だけど全く別の場合もあるし、同時にやってくることもある。昨日の場合は、同時でもあり、楽しいをさらに覆い尽くすような幸せを感じました。夕張めろんの甘い匂いのような、ふわふわした心地に包まれている。幸せはめろんの匂いに似てるみたいです。個人の感想ですが。
自由律俳句を始めてまだ日が浅いのにもかかわらず、こんなに大きなイベントに出演させていただくのは恐れ多かったですが、にっきちゃんの自由律俳句は本当に素敵だし、わたしも(自信ないことは多々あるけれど)自分の句は好きだったりするので、このイベントに出られたことを誇りに、自由律俳句ユニット「ひだりききクラブ」として活動していきたいです。ひだりききクラブのファンがちょっとずつ増えていきますように。
ふつうの靴を履いて出かけよう
今日、サミットに行ったら「ずっと片思い」「想いは届かない・・・」のようなフレーズが天井から聴こえてきた。普通は「バレンタイン・キッス」か「チョコレイトディスコ」じゃないのか。そんなサミットのこと好きになっちゃった。切ないね。
入口付近のひなまつりコーナーにとても可愛らしい金平糖があった。部屋の机の上に飾ったら、かわいくて良い気持ちになれるだろうなと思って手に取った。わたしは必要・便利・安価なものよりも、不必要・不便・割高でかわいいものばかり買ってしまう。今回も完全にビジュアルだけですごくほしくなったけど、「節約しなきゃな…」と思って買うのをやめた。
可愛くて見るたびに嬉しい気持ちになるのものを買うのは、自分にとって大切なことだけど、そういうものばかり買うとお金がたくさん減ってゆく。手に取った金平糖をじっくりと眺めながら、「自分の大切にしたいかわいいものたちを買う機会が生活のために消えていったら…?」という最悪がよぎったけれど、現状わたしは可愛いものにまみれているのでしばらくは我慢しても平気そうだ。今日も服と髪型が可愛かった。
こうして435円の金平糖を我慢し、いつもとちがう味のお茶漬けを買い物カゴに入れた。
節約とかなんとか言っているけど、メルカリでピンクハウスのサスペンダーと靴を買ってしまいました。しかし靴もサスペンダーも必需品なので良いでしょう。(しかもサスペンダーはメルカリのポイントで買ったからなおさら許せる)
愛用しているナースシューズがボロボロになってきたので、昨日から新しい靴をネットで探していた。
わたしは人より少し足が小さい(22.0cmくらい)ので、サイズが合う大人用の靴があまりない。あってもデザインが気に入らなかったり、手持ちの服に合わなかったりして、なかなか靴を買えずにいた。
その悩みを解決してくれたのがナースシューズだった。ナースシューズはすごい。まず立ち仕事用に作られた靴だから、クッション性に優れている。いくら旅先でアスファルトを歩き回ろうとも全然足が疲れない。デザインもシンプルかつスニーカーほどの存在感がないので、わたしの持っている可愛い服にもカジュアルな服にも、白タイツにだって似合う。
そんな理由でナースシューズに出会ってからは、靴選びに対して抱えていた悩みが解消されたし歩きやすいし、同じものを6代に渡って2年以上も愛用し続けていた。
ナースシューズに対する信仰が厚い一方で、「ナースシューズを外で履いてるのっておかしいんじゃないか」という思いもあった。おそらくその疑惑は正しい。わたしの足元はおかしい。デザインは普通の靴でも、それがナースシューズだったらおかしいのだ。ナースシューズを外で履いている人なんて、どこを探してもいない。医療従事者でもいない。
たぶんわたしは靴を探すのがすごく下手で、色々考えすぎて異常になってたんだと思う。ナースシューズがボロボロになるたびに、「今回こそは普通の靴を買おう」とは考えていたけれど、また新たにサイズとデザインが良い感じの靴を探すのが面倒だったので、安定のナースシューズに甘えていた。
だけど本当に、今回こそはナースシューズは卒業して本物の靴を履く。なんとなくそういう決意が芽生えたタイミングだった。
だいたい、わたしは服が好きなくせに、靴にお金を掛けたくない気持ちが強すぎるのだ。そのせいで1足だけでどんな服にも合うナースシューズを信仰しすぎていた。人ってふつう、靴を何足か持っていて、その日のファッションに合わせて靴を変えるものだ。自分が靴に金を掛けたくなさすぎるせいで、そんな当たり前のことまで忘れていた。
GUで白い厚底のスニーカーと、メルカリでリボンのついたピンクのスニーカーを買った。今年の春はやっと正常な足元で生きていける。
ひなまつりの金平糖は我慢したけれど、バレンタインなのでいちばん好きなチョコレートを買った。
すごい好き…
やっぱり2年間お世話になったナースシューズの歩き心地の良さと便利さを考えると、このままお別れするのは惜しすぎる。
夏以外の海がいい
朝にホットケーキを焼くと優雅な気持ちになれるのはなぜだろう。
先週くらい、お弁当を作りつつ朝ごはんにホットケーキを焼いた。普段なら朝はお茶漬けをささっと食べることが多いけど、その日はホットケーキを焼いた。
個人的に書いている日記を読み返したら、その日は大変目覚めが良く、心も身体も軽くてスッキリしていたらしい。しかも夜に雪苺娘まで食べていた。ご機嫌すぎる。
時系列的には、朝起きる→心も身体も調子良い→ホットケーキ焼く、なので、過去の自分はホットケーキを焼くことによって、さらに良い一日を送ろうとしていた。
お茶漬けも良いけど、すこしの手間と時間がふわふわのホットケーキになって返ってくるので、朝にホットケーキを焼くのは自分へのやさしさみたい。
今日は夕方にホットケーキを焼いた。
なんのへんてつもないSHOWAホットケーキだけど、あの箱って赤くてとても可愛いです。
去年のクリスマスにドンキホーテのレジ前に並んでいて、赤くて可愛いという理由だけでカゴに入れた。
先に牛乳とたまごを混ぜあわせるのを忘れたからか、ホットケーキではありえないほど生地が重くなってしまった。それなのに、出来上がりはなぜかお店のおいしそうなホットケーキくらい膨らんだ。めでたし。
大きくて、真ん中だけほんのり高くなっているから丘みたいだった。室蘭には「チキウ岬」があるけど、どこかに「地球が丘」もあった気がする。
あってもなくてもいいけど、このホットケーキには「地球が丘」と名前をつけました。
これはちきう…
残念ながらあんまりおいしくはなかったけど、バターやはちみつなどでごまかした。
やっぱり作る順番をまちがえたらしい。
これは重たい生地
昨日はお友だちと寿司を食べた。
「寿司を食べるためだけの約束」って素晴らしい。しかもそれが平日の夜の約束じゃなくて、休日の昼の約束だったのも良かった。13皿食べた。最高記録。
昔、みんなが定食を頼む中、自分だけ半チャーハンを頼んだらそれ以来しばらく「半チャーハンの人」というイメージが定着してしまったことがある。ふつうのチャーハンを頼むと心配されたけど、本当はコンディション次第で大きいお弁当を食べられるし、ナンも食べる。やよい軒でごはんもおかわりする。
工事中でぐるぐるに覆われた歩道橋があった。
自転車だったけど、わざわざ道の脇に置いて渡りにいった。わたしの知ってる歩道橋じゃない、外の世界から遮断されたトンネルになっていた。
こんなのとか もう日常じゃない…
わたしはよく遅刻しそうになるし、実際にしてしまうので、そういう時に歩道橋が登場すると「おしまいだ・・・」と思うのだけど、散歩中の歩道橋は積極的に渡りにいきたい。歩くたびに足の裏から橋といっしょに揺れる感じが伝わって、怖くも面白くもある。
特にこの日の歩道橋はへんなにおいがしたり、街灯を間近で見られたりして楽しかった。全然ちがうけど、川崎にあったウェアハウスのことを思い出した。
入口からわくわくした。
もっと工事中の歩道橋を渡ってみたくなって、Twitterで「歩道橋 工事中」と検索したら、木の板で覆われた歩道橋の写真が出てきた。楽しそう…
東京で良い工事中の歩道橋を見つけたらぜひ教えてください。
感情がジェットコースターみたいな日だった。
でもそのジェットコースターというのも、としまえんにあるようなゆるいやつだけど。
「もう自分はダメだ………」という気持ちになっていたけど、その時の自分にとって適切な音楽や動画を視聴したら治った。自分がダメなのはまったく変わらないけど、気持ちは治ったので救われている。単純で良かった。
旅に出たすぎる。
東京の遠くとか近隣県にはちょこちょこ行ったりしていたのですが、わたしは深夜バスに乗りたいし鈍行に8時間乗りたいんだよ… 宿泊したいし海がみたい。北海道のお土産屋さんでまりもを買いたい。そしてペットが欲しいという友だちに瓶に入ったちっちゃいまりもをあげたい。
というのは実話で、わたしは北海道でちっちゃいまりもを買って、金魚すら飼ったことがなかった友だちにあげたことがある。元気かな、あの時のまりも。
明日も良い気温でありますように。
ホットケーキミックスは切らしたので、たぶんお茶漬けの日になると思う。
住宅街から鬼がいなくなった朝
「脱衣所が寒いから嫌だな…」と思ってお風呂に入るのが遅くなったし、「脱衣所が寒いから嫌だな…」と想像してお風呂を出るのが遅くなった。実際に脱衣所は寒かった。
こんなことなら、脱衣所がなくなってしまったほうが良いんじゃないか。脱衣所さえなくなれば、寒い思いをせずに暖かい部屋に直行できる。そうしたら入浴時間も短縮できるし、節水にも繋がって、時間とお金の有効活用ができる。良いことしかない。と極端な考えに至った。
今まで、実家で当たり前のように脱衣所が存在する生活をしていたけど、実は必須スペースではなかったのだと今日初めて気づいた。服なんて部屋で脱げばいいじゃない。
今日は節分でしたね。
豆撒きましたか?わたしは撒きました。
てのひらに数粒の豆をあつめ、暗闇に向かって投げ放つ。豆は闇の中に散り散りになって消えてゆくけれど、最後にはアスファルトにビタンと打ちつけられた音がこちらに返ってくる。
豆を思いきり投げつけるのは右利きだったんだなあと知った。
「福は内」で部屋に投げる用の豆は、普通の福豆だと散らばってしまい掃除が大変なので、今年は落花生を使用した。これなら投げた数が把握しやすいし、すぐに見つけることができる。
リビングや玄関で豆を撒いていき、さいごに自分の部屋で「福は内」の落花生を投げたとき、いくつかの落花生が重なるようにわたしの布団の上に乗っかった。その様子が「犬が体調悪い時の白いうんち」にそっくりだった。本物だったら絶叫ものだが、幸い偽物だったので、ちゃんと素手で拾っておいしく食べた。
節分関係ですごい印象に残ってる話がある。
友だちには少し年の離れた妹いて、一緒に豆撒きをすると、妹は「福は内」で部屋に投げてちらばった豆を床から拾ってそのまま食べる というエピソードがとても記憶に残っている。たしかに、部屋もきれいになるし、豆も捨てずに済むから一石二鳥ではあるかもしれないけど。はじめて聞いたときはなんとなく衝撃的だった。
もはや節分じゃなくても、年に何回かはこの話を思い出す。床から一粒一粒拾い集め、手のお皿に乗っけて、床に落ちたやつだからいちおうふーふーしてから食べるのかな… なんて想像してしまう。
昨日発送したひだりききクラブの句集が、徐々に届き始めているようで嬉しいです。(お待たせしました…!)
北は新潟、南は福岡まで、いろんな場所に住んでいる人たちが注文してくださっていて、発送準備をしているときに宛名を見ては、とても不思議な、だけど感慨深い気持ちにもなりました。どこか遠くに住んでいる人が、わたしたちの存在を知っていて、ひだりききクラブの自由律俳句集を読みたいと思ってくれていること。注文数や住所という目に見えるかたちになって、改めて感謝の気持ちとこれからのやる気を実感しました。そしていまは、Twitterでの「ZINE届いたよ」という報告があたたかい。
本当にありがとうございます。大切にします。
いつかわたしたちの自由律俳句集がどこかの町の本屋さんに並んだらなと思います。これは今年の目標にしよう。
2/27生誕、予約開始しました❕よろしくお願いします にに
— 出雲にっき (@nikkichan_anone) 2021年2月2日
🌬🤍 https://t.co/o54fXVjjZ7
2月27日にある出雲にっきちゃんの生誕イベントのチケットが発売開始しました!
さっき見たときに残りわずかだったので、ブログを更新した時にはもう売り切れているかもしれませんが… すべりこめる方はぜひ今夜中にお申し込みを、、!
で は 🍥