カップ麺の底を嗅ぐ人
今日コンビニに行ったら、カップ麺の底のにおいを必死に嗅いでる人を見かけた。銘柄は見えなかったけれど、赤かったから中本系の何かだと思う。
ラーメンを上方斜め45度に構え、それを見上げるような形で、カップの底に顔を近づけてにおいを嗅いでいた。
1つ嗅いで棚に戻して、また別の、同じ銘柄だと思われる赤いカップ麺を手に取って底を嗅いでいた。
わたしは普段、このようなちょっと変わった行動をしている人を見かけても「なんかやってるな…」と思うだけで、そんなにじろじろ見たり引いたりすることはない。
しかし今日はなぜか凝視してしまった。
しかも微妙に目が合ってしまった。
わたしは知らない顔をして、その人の横を通り過ぎ、別に欲しくもないスイーツコーナーを見るフリをしながら、またその人の様子をちょっと見た。
その人がこちらを見ていた。
わたしはカルピスソーダと濃いカルピスを買って帰った。
濃いカルピスをカルピスソーダで割って飲んだ。それに意味があるのかはわからない。
いっぱい見てしまってごめんなさい。
納得できるラーメンは買えたのかな。
今日の1枚。
わたしがこの間食べたカップ麺です。
かやくが袋からコロコロ出てくるところがかわい〜と思って撮りました。
写真は既にかやく出ちゃってますが。
今まで、どん兵衛と緑のたぬきは同一商品だと思ってたのですが、これを食べて「わたしが好きなのって緑のたぬきだったんだな」と気づきました。やっぱりたぬきがかたまりで乗っているほうが良い。
旅に出たい気持ちが強い。もう半年くらい都内を出ていないかもしれない。
小さな空港も、サービスエリアも、フェリー乗り場も、バスターミナルも全部行きたい。
そして柄が詳細なマンホール蓋を観察したい。
ということばかり考えています。
おそく起きた朝
iPadの真っ暗な画面とか、
自分の顔が写るとたまにピースしてしまう。
ダブルピースの時もある。
ひとりなのに。
別に2人でも3人でも、真っ暗な画面に向かってピースはしないか。
日曜日は、
「はやく起きた朝は・・・」→「ボクらの時代」→「シューイチ」「ニノさん」→「スクール革命!」→「お笑いG7サミット」→(4chの特番再放送)
という、個人的にゴールデンなテレビ番組の流れが存在する。
最近は「はやく起きた朝は・・・」と「ボクらの時代」は寝てて見ないことが多いが、日曜日は予定がなければずっとテレビをつけっぱなしにして過ごす曜日と決めている。
しかし今日は24時間テレビがあったので、楽しみにしていたテレビの流れがなかった。
それならどこかに出かければ良かったのに、なんとなく眠くて、どこにも出かけずテレビもろくに見ずに昼寝してた日だった。平和。
最近見ていないと言った「はやく起きた朝は・・・」(以下、はや朝)だけど、高校3年生の時はよく見ていて密かに好きな番組だった。
当時は受験勉強のため、朝自習をしようとほぼ毎日早朝に学校に行っていた。朝起きてから家を出るまでの時間、平日は「おはよん」〜「ZIP!」にお世話になっていたが、日曜日は好きな雰囲気のニュース番組がなかったため「はや朝」を見ることにしていた。
松居直美さん、磯野貴理子さん、森尾由美さんの3人が料理をしたり、視聴者からの手紙に笑ったり、時には涙したり、ペットの写真に癒されたりしている姿に毎週元気をもらっていた。
だから、受験が終わって大学に合格したら、番組宛に「受験でつらい時期も、3人の姿を見て毎週元気をもらっていました」という手紙を送ろう、そして「はや朝」特製マグカップで紅茶を飲もうと心に決めていた。
「はや朝」を見てから日曜日も学校に行く日々は受験直前まで続いた。
そして晴れて第3志望くらいの大学に合格、4年通って卒業もしたが、未だに「はや朝」に手紙は出せていない。
今日の1枚。
バナナの水死体
活躍
今日は寿々木ここねさんと会える日だった。
アイドル活動をしていた時にお世話になっていた、火山さんという可愛いお兄さんが出ている舞台を一緒に観に行った。
改札の向こう側に姿を見つけた時から、服装も髪型も、仕草やエピソードまで全てが寿々木ここねだった。
わたしは寿々木ここねさんが寿々木ここねさんであることに絶大な信頼を置いている…。(尊敬)今日も可愛かった。
お昼ごはんにお好み焼きを食べたら、参宮橋の劇場に向かった。
今回観劇した 劇団やりたかったさんの『全ての魔女たちへ』は、火山さんが役者として立つ最後の舞台だった。
シェアハウスに住む、キャラの濃い登場人物たたちの恋のすれ違いのお話。たくさんの笑いが散りばめられていて、しかもわたしは笑いどころでない部分でも笑ってしまうので、終始ニヤニヤしていた。楽しかった。ちょっとシェアハウスに憧れた。
ちゃんと役を演じているのに、火山さんらしさからもかけ離れていないような、自然なところが好きだった。最後の役者姿をしっかり目撃することができて良かったけれど、とても楽しかった分、終わってしまうのがより寂しく感じる。
そのあとは、ここねさんは練習があったので新宿駅で解散して、わたしはタワーレコードに向かった。8階奥のアイドルコーナーへ。
さっきまで目の前にいた子がCDショップで展開されているところを見てきた。すごい。
もちろんグループで展開があることだけでも大変有り難いしすごいことだと思っていたけど、グループを頑張って続けた先にソロアルバムが発売されて、こんなに立派な展開とCDが並んでいるのは(この時は品切れ中でした)、もっとすごいしかっこよかった。誰目線かわからないけどかなり感慨深かったです…。
ポスターとCDを写真に収めたら、長居するのはなぜか落ち着かない感じがして何も買わずに帰った。
(CDは通販でサイン付を予約したからもう持ってる)
今日の1枚。
わーい at お好み焼き
お湯の出るお風呂に入った。
今日ついに家の給湯器が直った。
つまみをひねればすぐにお湯が出てきて、全身をほぐしてくれた。なんて素晴らしい。
約2週間のお湯なし生活で、わたしはお湯の存在の有難さを身をもって体感した。
快適な東京実家一軒家生活でボケていたが、快適な風呂にはお湯は必須で、そのお湯だって、つまみをひねればいつでも簡単に出てきれくれるものではない。
わたしたちはもっとお湯に感謝すべきだ。
いつもありがとう、お湯。
エアコンに振り回される
中学生くらいの時、頑なに自分の部屋のエアコンをつけることを我慢していた。
その頃は代謝が今よりも悪く、蒸し風呂のような体育館でバレーボールをしても、ちょっと汗ばむくらいで済んでしまうほどだった。そのうえ人よりも暑さに強かったので、エアコンをつけなくても余裕で夏を耐えられていた。
当時は「地球温暖化」という言葉が、今よりもニュース番組で連呼されていたような気がする。
リビングは家族4人が集まる場所なので、まだエアコンを付ける必要性があるが、自分の部屋では少し暑くて不快だからといって、自分の欲で自分のためだけにエアコンをつけることは、なんだかとても非国民でいけないことのような気がしていた。わたしは暑さに耐えられる方だったので温暖化を守ろうと、就寝時も窓を開けるだけで過ごしていた。
そこから8年くらいは健気に同じような過ごし方をしていたけれど、最近は毎日エアコンをつけているし、つけたり消したりするのは電気代がかかるので、朝目覚めるまでエアコンをずっとつけっぱなしにしている。
そんなふうになってしまった。寝る時もエアコンはつけっぱなしが良いとニュースで言っていたから。
今日は豚肉と大根の照り煮とキャベツの何かを作った。トマトも切った。
せっかく自炊しても、夏バテのせいで意識を別のところに飛ばしながら作業のように咀嚼してした。Twitterのフォロワーの方々から、夏の郷土料理や麺が良いのではという意見をいただいたので、試してみたいなと思った。
(エアコンはニュースに振り回されていたけど、テレビの情報をいつも鵜呑みにしているわけではないので大丈夫だよ…! )
今日の1枚。
1番好きな味 チョコミント
ついに明日、家の給湯器が復活するらしい。
2週間近くに及んだ銭湯&水風呂生活ともやっとお別れだ。
銭湯に通うのは楽しかったし、すっかり慣れたので給湯器が直ってからも積極的に足を運びたいなと思うけど、家の水風呂は人生で二度と体験したくない。
明日は楽しみな予定があるので楽しみ。
女子高生の夏休み
感動的に仕向けてられているストーリー、
そういうこと、気づいていてもまんまと感動してしまう。今日も、気づいていたのに泣いてしまった。
6月くらいからずっと食欲がない。
冬のわたしは、いつもごはんを1.5杯食べるし、牛角の食べ放題に限っては様々な肉とともにカルビ専用ごはん(大)とカルビ専用ごはん(中)を食べるくらいには食欲旺盛だ。回転寿司も10皿は普通に食べられる。
7月は寒かったので、普通の量を普通の速さで食べることができていたが、ここ数日はひどい。食事が苦痛。
お茶碗半分以下のごはんと少量のおかずでも完食するのにものすごく時間がかかってしまう。
お腹が空いていても、食べる準備をした途端に満腹になるので食事を辞めたくなる。
なので、最近は1日ほぼ1食生活をしている。1食はごはんを頑張って食べている。
そうしたら、冬に太ってしまった分の体重が減って痩せました。
めでたし。ではないが、たぶんそのうち食欲は戻るので大丈夫でしょう。
わたしはどちらかというと、陰気な人間の顔、明るくて陽気な風には見えない顔をしていると思う。そんなこととっくの昔から知っているけれど、改めて鏡を見た時にそう思った。そういう顔をしている自分もそんなに嫌いじゃない。
今日の1枚。
母がカットスイカを買ってきてくれた。
スイカ目的じゃなくて、容器がでんでんたち(最近世話をしてるカタツムリ)の家にちょうど良さそうだったからという理由で。
スイカ割りをしたことがありますか。
わたしはない。
スイカ割りなんてリアルに存在するのかな。少なくとも、銭湯の男湯と女湯の洗い場の天井の隙間から、シャンプーを放り投げて貸し合いをするよりはあるのだろうな。
今度お母さんと「事故物件 怖い間取り」を観に行って、そのあとカラオケでNiziU歌う約束をした。(実は「Nizi Project」最初から最後まで全部観ていた)
すごい楽しみ。
女子高生の夏休みか。
肴はカタツムリ
日傘もカーディガンも家に置いてきてしまったので、今年一紫外線を浴びた気がした。
散歩しながら自由律俳句を考えようと、歩くスピードを落とし、周囲の木々をイヤホンなしでゆっくり見渡していると、すごく純粋な散歩をしている気持ちになった。自分の中にある散歩らしい散歩像に浸りながら公園を歩いた。
昨日から小さいカタツムリの「でんでん1」と「でんでん2」を飼育している。
この暑さで、寝ている間にエスカルゴになっていたらどうしようかと思ったが、無事2匹とも生きていた。
今朝起きたら、お母さんがでんでんたちに梨の皮、にんじん、庭で拾った小石を与えていた。しかも虫カゴ代わりのペットボトルまで新しいものをこしらえている。
昨日は「もう飽きたし明日にでも庭に放す?」とか言っていたくせに。心なしか昨日より張り切って世話をしているように見える。
夕飯の時にはカタツムリたちを肴に、ふたりで缶チューハイを半分こして飲んだ。
(カタツムリを肴に、と書くとかなり紛らわしいが、この場合は飼育しているカタツムリを観察しながらの意)
今日は2匹揃って、首を伸ばしながら梨の皮を必死に食べているところが面白かった。
虫メガネで見ると本当にすごい。口のような部分を前後にもぐもぐとさせながら、ちゃんと目の前のものを食べている様子がしっかりと見える。見ていて飽きない。
人間のように顔や手足があって、言葉を使ったり感情を表現したりしないのに、何かを食べて生命を維持しようとしているところが、生き物として当たり前のことだけど、なんだか神秘的で愛おしく思える。
今日の1枚。
今日は頑張ってこれだけ飲んだ。
わたしは水を飲むのが昔から苦手だ。
人より喉が乾かないから、きっと水分の摂取量も少なめで大丈夫な気がするのだけど、さすがに夏なので最近はペットボトル1本分くらいは水が飲めてしまう。
大学生の頃、パン屋でアルバイトをしていたことがあった。閉店後の片付けが終わる頃には、夏だと喉がカラカラになるので、お店の通用口からバスに乗るまでの道にあるスーパーでいつもヨーグリーナを買っていた。
バス停でバスを待つ間に気が済むまで飲み、バスに乗っても隙を見つけては飲み、バスを降りるまでに500mlのヨーグリーナを飲み干していた。
それが一時期、わたしのストレス発散法になっていた気がする。(なんだそれ…)
いつもは1日で500mlペットボトルの1/4しか飲めないのに、夏になるとおかしくなるくらい水分を欲してしまうのが気持ち悪くて、面白くて、バスで飲み干すような遊びをしていた。
すごくどうでもいい記憶。