夏の早朝

空想や妄想をしてみたい。

短い言葉で笑わせたい


短い言葉で笑わせたい。

 

そんな表現に憧れている。

長い文章で確実に伝えるよりも、短い言葉でいくつもの想像を生み出してみたい。

 

 
私は自分が体験した出来事や考え(事実)を膨らませて文章を書くことが多い。

ジャンルでいうとエッセイ、のようなものを書いているのだと思う。

 

誰かのブログや情報サイトの記事、インタビューなどが日常生活の中で1番触れることの多い長さの文章だし、最も自然に書きやすい長さの文でもある。

 

そのくらいの長さの文章にはある程度の内容が詰まっている。様々な言葉をいくつも用いて表現できるので、具体性も高まり、読み手にも内容が伝わりやすくなるだろう。また、長い文章を読みきったという達成感から、印象に残りやすくなるかもしれない。

 

でもいくらでも付け足して良いのだったら誰にでも簡単に長い文は書けてしまうし、どうせなら短い言葉でスパッとかっこいいことを言ってみたい。

 

 

私の憧れている短い言葉というのは、詩やキャッチコピー、俳句・川柳・短歌、漫才のツッコミや大喜利の答えなどです。

 

短い言葉の表現なら、すぐに人を笑わせることができるし、記憶的に持ち運びもしやすい。
好きな時に思い出したり、つぶやいてみたり、自分なりの新しい解釈で世界を広げることもできる。

文字数は少ないのに、何通りもの答えがある。

 

そんな表現に憧れてしまった。

 しかし文を書くのは好きでも、物語や詩となると何を書けば良いのか全く思い浮かばない。
 

 

私は何かを創ろうとする時、いつも方法から考えてしまう。

 

例えば詩を書くとなれば、「詩」という形式で自分の表現をしなければならないけれど、詩なんてあまり書いたことがないので、詩で何を伝えたいのか全くわからない。何も思い浮かばない。

真っ白な空間に何も持たずにぽつんと置かれたみたいに果てしなく頭が真っ白になる。

 

自分の伝えたいことがわからないまま、どういう考え方・方法があるんだろうとか、何が詩なんだろう、とか考えたり調べたりしながら方程式に自分の考えを埋め込むことしかできないだろう。

 

事実をそのまま書くことはできても、それを別のもので例えたり光景が思い浮かぶように表現することは難しい。

 

短い言葉で笑わせることへの憧れはずっと前からあるけど、なかなかできていない。
まず伝えたいことがないのに、やってみたいというのが間違ってるような気がするけど。

 

 

今日、「降ってくる」というのは日々のインプットと、それまで頭の中で形になっていなかったアイデアの欠片が合わさった時に訪れる偶然の産物なんだとネットで見た。

 

私は普段、詩なんて見ない。(not歌詞)

好きなのはTwitterのつぶやきだけだ。


「 短い言葉で笑わせたい」と下書きに書いていた自分に対して、もっとインプットしろって思った。

 

 

 

最近すごく面白いと思ったのが、QJWebで連載している『エロ自由律俳句』

 

qjweb.jp

 

お笑い芸人・かが屋の加賀さんと放送作家の白武さんが「エロ」をテーマに自由律俳句を詠むという企画。(6月11日現在、第3回まで更新されています)

 

自由律俳句とは、五・七・五の中に季語を入れるという定型詩の俳句に対して、十七音のルールも季語も不要だ。なんて自由なんでしょう。

あくまでも俳句の定型があって、そこから自由になろうとすることで成立するのだとWikipediaには書いてあったけど、とにかくルールがなくても俳句になる世界があることがとにかく衝撃だった。

 

 

自由律俳句については、数年前に人から聞いて名前くらいは知っていたけれど、「俳句」の部分にお堅さを感じてしまい魅力を感じるまでには至らなかった。

 

 

私の中の俳句といえば、

 

「古池や 蛙飛びこむ 水の音」

 

がほとんど全てで、国語の授業でこの句の意味だとかなんとかは習ったりしたけれど、この句の情景を思い浮かべようとしてもピンと来なかった。

良いとも悪いとも思わなかった。授業で紹介された他の句に対しても似たような感想を抱いた。

また川柳や短歌も同じで、私の中の「俳句」は教科書の外を出ることはなかった。

 

それからもなんとなく、俳句=難しい、よくわからないというイメージが消えず、私が俳句に興味を持つことはなかった。

 

 

 しかしこの連載を読んでみて、これが俳句でもいいんだ…!と感動したし、加賀さんと白武さんはLINEで俳句を詠み合う仲だと書いてあるのを見て、俳句ってそんなフランクに詠み合うものなんだ!と、ちょっと衝撃だった。

俳句って、本に載ってるか札みたいなやつに書かれてるやつしかイメージなかったから。(ヤバすぎ)

 

 

先ほど書いたように自由律俳句には定型がない。

2人の詠んだ句は、ぽつりと頭の中で浮かんだひとりごとのように、違和感なく心の中に入ってきた。句が詠まれた情景が思い浮かんだ。

 

 

すごい。

めっちゃ面白い。

 


教科書の句は何も見えなかったのに、初めてちゃんと見えた。見えないのに見えた。

 

同じ20代の2人が詠んだ現代の句だからか、状況が思い浮かびやすかったし、句に五・七・五のリズムがないけれどリズムが良く、本当に心のつぶやきのように感じられた。

 

作品とつぶやきの間のような絶妙さがリアルで、それが本当に面白かったし好きな句に余計にときめいた。

 

思えば、私はそんな言葉が好きだった。

きれいにラッピングされた「作品」よりも、Twitterの知らない誰かのつぶやきの方が、やけに心に残ったりもした。

 

俳句だけではなく詩や短歌、キャッチコピーにも言えることだけど、作品の生死や受け取り方が読み手側の想像力に任せられているというのも、短い言葉の表現ならではだと思った。

 

連載第3回の白武さんの詠んだもので好きな句がある。

 

「いまのことをはやくあとでおもいだしたい」

 

「はやくあとでおもいだしたい」と思ったことがない人にとっては、この句の全てが意味不明だと思うが、「はやくあとでおもいだしたい」と思ったことがある人にとっては共感でしかない。

ここでは「エロ」というテーマが設定されているけど、エロが関係ない、別の瞬間などに当てはめて詠むこともできる。ひらがななのも、焦ってる感が出ていて面白い。

 

 

今まで俳句に興味を持ったことがなかったけど、偶然面白いと思えるものに出会えた。エロではないけど私も詠んでみたくなった。

 

 「エロ自由律俳句」というタイトルも良いよね。なんか言いたくなる。 


まだ出会って20句ほどしか経っていないけど(しかもすべてエロ)、自由律俳句をもっと知りたいので、とりあえずピース・又吉さんと放送作家せきしろさんの『カキフライが無いなら来なかった』を読んでみようと思う。

 

私は加賀さんが第1回目で詠んだ、腹式呼吸の句と間接間接キスの句がとても好きです。