犬を猫として育てることになった話
その元・犬はとっくの2年前に死んでいるのだけど、最近はあまりにも幻が見えるので死んだことを忘れていた。
もちろんそこに元・犬の姿はないし、見えてもない。
だけど気のせいではなく確実にそこにいるのだ。
そうしたら元・犬も同じように忘れてしまったのだろうか。
家の中を歩き回り、当たり前のようにソファーの上で眠っていたりする。
「猫として育ててもいい?」
誰かがその質問をしてきた時、私は何も思わなかった。
猫として育てると言っても、特別な手術をしたり何らかの申請を行う必要があるわけではない。
犬としての健康を保つためにエサはドッグフードを与えるし、散歩にも連れて行く。
ただ私たちが犬を「猫扱い」をするというだけで、事実上犬が犬であることに変わりはなかった。
私は深く考えずに「いいんじゃない」と答えた。
猫として扱ってたとしても、犬が犬であることに変わりはないのだから。
こうして我が家では、犬を猫として育てることになった。
その元・犬はこたつで丸くなったり、喉元を撫でると気持ち良さそうにしたり、暗いところで目を光らせたり、徐々に猫らしい姿を見せるようになった。
「だんだん猫らしくなってきた」とお父さんは笑っていたし、
「この前なんか猫パンチしてきたのよ」とお母さんは嬉しそうにしていた。
このことをクラスの友だちにこっそり話した。
「あのさ、私の家の犬、急に猫として育てることになったんだよね」
友だちはすごく驚いた顔をして、すぐに別のクラスメイトに報告した。
すると、その日のうちに私が「犬を猫として育てている」という話はクラスメイト中、学校中に一気に広まった。
「犬を猫として育てること」は一大ブームとなり、犬を飼っていた友だちも猫として育て始め、教室や食堂でも飼っている元・犬の話で盛り上がる生徒たちを多く見かけるようになった。 SNSでも「うちの猫可愛くない?」と元・犬の画像を投稿するクラスメイトを何人も見た。
このブームは学校の中だけに留まらず、やがて町中、日本中にまで広がっていった。
実際にこの「猫ブーム」がキッカケで、2017年には国内の猫の飼育数が初めて犬の数を上回った。
あの朝のニュース番組のコーナーは「きょうのにゃんこ」に改名したし、干支の戌年は「猫年」と呼ばれるようになった。忠犬ハチ公をモチーフとした猫映画も製作され、大ヒットとなった。
私の通学路でも自慢の愛猫を連れて歩く人の姿が今まで以上に多く見られるようになった気がした。
私はこの「猫ブーム」が恐ろしかった。
自分が友だちに話したことで日本中に広まってしまったこともだが、誰も「猫ブーム」を疑っていないことが1番怖かった。
この川沿いを飼い主と一緒に散歩するどの犬たちも、犬としての健康を保ち、犬の姿で一生懸命に生きているように見える。
しかし、その飼い主たちは全員犬のことを猫として散歩させているのだと思うと、とても気分が悪かった。
どうしてこの人たちはおかしいと思わないんだろう。
元々は私が友だちに話したことから始まった「猫ブーム」だったが、私はあの日「犬を猫として育てることへの違和感」を誰かに相談をしたかった。
それなのに私の感じていた違和感は友だちにも世間にも受け入れられ、取り返しのつかない世界を作り出してしまった。
「猫ブーム」のことを考えると心が重苦しくなって、学校から家までの帰り道が果てしなく遠く感じた。
私は近くの芝生に座り、静かに流れる川を眺めた。
すると、毛並みのきれいな犬を連れた男性が近づいてきた。その人は連れていた犬と同じくらいきれいな髪の色をしていた。
「きれいな猫ですね。」
私はそう声をかけた。
「猫…?この子が?」
男性は不思議そうな顔して聞き返してきた。
その男性は最近の「猫ブーム」のことを知らなかった。
私は突然犬を猫として育てるようになったこと、それが学校中、日本中に広まってしまったこと、それをおかしいと思わずに流行に乗って犬を猫として育てる人たちへの疑問、私が責任感と後悔で押しつぶされそうになっていることなど、全て話した。
こんなことを考えている私がおかしいのではないかと今まで誰にも話せなかったが、その男性は私と同じように「猫ブーム」は間違っていると言ってくれた。初めて自分の違和感と疑問が受け入れられて救われた気分だった。
そして、犬が犬として生きる世界に戻れるように協力してくれることになった。
私たちは最近の「猫ブーム」の異常さと犬の権利について、様々なテレビ番組や新聞に投書をした。
私は犬を猫として育てることを禁止するように学校の先生や町の職員の人に相談をした。
とにかく自分たちで、この世界を変えようと必死だった。
それから3年が経った。
2年前、元・犬は猫として育てられるようになった1年後に天国へと旅立った。
ちょうど、あのきれいな髪の毛の人と出会った日だった。
生前の姿をよく思い出すが、あの猫は本当に可愛かった。
最近はあまりにも幻が見えるので死んだことを忘れていた。
もちろんそこに猫の姿はないし、見えてもない。
だけど気のせいではなく確実にそこにいてくれた。
私も、きれいな髪の毛の男性も、本当によく頑張ったと思う。
猫も同じように忘れてしまったのだろう。
庭を元気に駆け回り、走り疲れたらいつものソファーの上で眠っていた。
わたしはいつものニュース番組のいつものコーナーを見て、かつて大ヒットした映画を見た。
以上、5月13日に見た夢をもとに書いたやつでした。とても嫌な夢。
写真は熱海で見た猫。
私は犬を猫として育てることが流行ったとしても絶対に犬は犬として育てたいです。