夏の早朝

空想や妄想をしてみたい。

いろんな人

 

一般的とされていないものを堂々と話せる人がうらやましい。

 

わたしは自分自身のことをすごく平凡で、(悪い意味で)常識的な人間だと思っている。

思ってはいるけど、こうやって「平凡でつまらない人間です」と書くと、そんな人が書く文をみなさまに見せつけていることが申し訳なく思えてくるので、今後はもう言わないですが。

 

この間、「有吉反省会」に電線が大好きな女性タレントが出演していた。その人は、過去に「ZIP!」にも出ていたりして、朝の顔にふさわしいような、明るく生き生きした表情で電線愛を語っていた。

その人の電線への愛は迷いがなくて、多くの人には理解してもらえないかもしれない “好き” をテレビで堂々と語っている姿がかっこよかった。

わたしには電線の良さはわからなかったけど…。

(でも、電線が心に刺さっているパラレルワールドな自分も想像できてしまうので、全く興味がないとは言い切れない)

 

自分の趣味の1つである「マンホール蓋の観察」は、あまり一般的ではなく、どちらかというとマニアックな趣味の部類に入るだろう。わたしはそう認識しているため、言ったら引かれそう・理解されなさそうな場面では言わないようにしている。

 

そういうところが、普通、というか自分がつまらない理由なのかなと思ったり。

 

人それぞれ違う人間なのだから、他人と違う小さなズレは自分の個性として存在する。マンホールの蓋が好き、は「変わってる」の範囲に及ぶほどの大きなズレではないだろう

悪いことをしているわけではないし、度がすぎた変態趣味でもないのだから、堂々と語ればいいのに。隠す方が良い場面もあるけれど、言ってしまうことで広がる世界もあるかもしれない。

 

結果がわからないから、駆け引きが難しいけれど。

わたしはそういう駆け引きが下手なので、自分の思っていることを隠しすぎて、けっこう透明人間になってしまう。

 

もし、変な空気が漂っても「有吉反省会」に出ていた電線マニアの人のように、熱く語ってみせたら、笑ってもらえたり、いじってもらえたりするんだろうな。

「あ、ちょっと変ですよね〜・・・(ヘラヘラ)」という、わたしがよくやりがちな返しが1番つまらない。

 


また、軽めのマイノリティを発表できるのにも憧れる。

 

軽めのマイノリティ(自分定義)とは、おそらく多くの人は犬や猫が好きで可愛いと思っているだろうけど、堂々と犬や猫があんまり好きじゃないこととか。ディズニーランドってもれなく全員大好きだけど、そんなに興味ないこととか。

 

時にそういう発言は「空気読めない」と捉えられてしまうだろう。まあ実際にそうかもしれない。

わたしはそんなことを堂々と言えるのはかっこいいと思っている。


みんなが好きな犬や猫を嫌いなことは、悪いことではない。それなのに、少数派の意見を口にすると「変な人」「ひどい」という判定が下されかねない。

いや、変とかひどいとかは言われないかも知れないけど、わたしにとってはものすごく言いづらいことだ。
わたしはどうしてもマジョリティに対して、こそこそとしてしまう。たぶん、全く興味がなくても「わ〜…!可愛いワンちゃん!」とか言っちゃう派。めっちゃ嘘じゃん、、

 

さすがに「わたし犬好きなんだ!」って言った直後に「へ〜そうなんだ!ぼくは犬大っ嫌い!」とか言われたらドン引き間違いなしだが、空気を読みつつも「犬も猫も好きじゃない」という軽めのマイノリティが、人を傷つけるものでない限りは、個性っぽいものの1つとして捉えられたら良いなと思う。

そして自分にもマジョリティを恐れず、自分と反対意見を持つ人にもがっかりしないで欲しい。

 

(ちなみに犬は好きです。犬ほどではないけど猫も好きです)

 

 

人の、「私って変わってるんだ」と言わんばかりに、あまり表情を変えず、真っ直ぐな瞳で淡々と変人風なエピソードを語る人が怖い。

 

それが「普通」に対する“良いズレ”や面白いものだったら興味を持って聞けるが、自分のズレを、自分だけが特別で変わってる(=良いこと)のだと疑わずに、刃のように振りかざしてくるのが怖い。

 

普通に対するズレが、その人の哲学として存在しているのは事実かもしれないけど、自分のことを完全に信じて疑わないように淡々と語っている様子見ると、どっちだろう、と思ったりもする。

表情を変えずに語りつつも、周りの人の「この人変わってるな〜」という反応を感じながら楽しんでいるのか。それとも、本当に自分の考えに何の疑いもなく、自信を持って発表しているのか。

 

そんな濁りのない、

いや、すでに濁っている目なのかわからないけど、どっちにしろ怖い目なのだ。

 

 

もしかして、わたしに「変わってるね」と言わせたいのか…?


いや、絶対に言わないぞ。
確かに、なんだよそれ… とは思ったけど言わない。

口が裂けても言ってやらない。

こっちはそちらの思惑に気付いているぞ。

そして、きょとんとするな…!

あ、もう1人が「変わってますね」って言っちゃったじゃん!!

1番言っちゃダメなやつなのに、、!!!

 

 


というような、


言わせたがりを感じる人にたまに出会うことがあるのだけど、本当に変わってる人ってどんな人なんだろう。思い返してみても、なかなかそういう人には出会ったことがない。

 

この人本当に天才だな、尊敬するな、すごすぎる…と、人と違っているところを心から尊敬できる人は何人かいるけれど。

 

人と違っていて、変わってるのは当たり前なのに、それ以上に変わってると言われる人って一体どんな人なんだろうか。

 

わたしにとって、全く知らない・関わったことない人は皆普通の人だけど、少しでも関わったことのある人は良い意味で全員変わっていると思う。自分とは違っているところがあって、それはわたしの基準では普通じゃないし、おそらく自分も、他人の基準から見て普通じゃないところがあるんだろうな、と思う。

 

わたしは人から「変わってるね」と言われたことが記憶にある限りない。

なので、エセ変わってる人は好きじゃないけど、昔からなぜか「変わってるね」と言われてきたような人のことを、ちょっとうらやましく思ったりする。その人にとっては変わってるね、がコンプレックスかもしれないけれど。


たぶん、わたしも据わった目で「マンホールって最高ですよね。あの丸くて無機質なところ…生涯を共にしたいくらい愛しています。」と語れば、「変わってるね」の称号を簡単にもらうことができそうだけど、それは脳が拒否するからできない。

 


「わたし、ディズニーランドよりも熱海秘宝館のほうが断然楽しかった。」

 

って、真っ直ぐ一点を見つめながら変わってる人ぶって言ってみる。

 

 

 

今日の1枚。

 

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美しい洞窟。全然今日の写真じゃないけど。

 

最近ずっと肌寒いじゃないですか。
それがわたしは嫌なのだけれど、真夏の、どこにいても熱があってベタベタとしている頃を想像すると、さらりと過ごせる今が終わるのを寂しく思うこともあります。